ナショナル・シアターの配信サービスNational Theatre at homeで鑑賞。【公式サイトはこちら】
フック船長とウェンディの母親を同じ役者が演じるキャスティングと、母親の描かれ方に注目して見ていると面白かったので、感想を書いていこうと思う。
このプロダクションはナショナル・シアターとブリストル・オールド・ヴィクの共同制作で、ブリストル・オールド・ヴィクでの初演は2012年、ナショナル・シアターのオリヴィエ・シアターでの上演は2016年から2017年にかけて行われ、2017年の上演終了後にNational Theatre Liveで上映された。
作:JM Barrie 演出:Sally Cookson ドラマツルギー :Mike Akers 美術:Michael Vale 衣装:Katie Sykes 照明:Aideen Malone 音楽:Benji Bower 音響:Dominic Bilkey
出演:Anna Francolini, Saikat Ahamed, Suzanne Ahmet, Marc Antolin, Lois Chimimba, Laura Cubitt, Phoebe Fildes, Felix Hayes, Paul Hilton, John Leader, Amaka Okafor, John Pfumojena, Jessica Temple, Dan Wheeler, Madeleine Worrall
このプロダクションでは、ピーターパンをおじさん(ポール・ヒルトン)が、子供達の世話をするメスの愛犬を大柄な男性が、ティンカーベルをおじさんが演じている。今までの『ピーターパン』から連想するイメージとかなりかけ離れていてインパクトがすごい。ついでに言うと、ウェンディ役もおばさん(マデリン・ウォーラル)で、弟たちジョンとマイケルも成人男性が演じている。さらに、フック船長も女優が演じている。他のキャスティングに比べたらもう大して気にならない。しかしこの「フックを女性が演じる」特に「子供達の母親ミセス・ダーリンとの二役である」というキャスティングがこの芝居の一番の肝心な要素だ。
ナショナル・シアターのプレスリリースによれば、JMバリーは初演当時、フックとダーリン夫人を同じ役者にやらせることを意図していたらしく、それを今回は採用したとのことである。(同じプレスリリースで、怪我のためにフック/ダーリン夫人役を降板したソフィー・トンプソンにスペシャルサンクスが贈られている。言われてみればソフィー・トンプソンがやっている姿がありありと眼に浮かぶようなキャラクター造形だった)
フックとミセス・ダーリンを演じるのはアナ・フランコリーニ。フックの右腕スミーを演じるフェリックス・ヘイズも、子供達の父親ミスター・ダーリンと、さらにロストボーイズの双子の片割れとの、三役を担っている。
フック船長を男性ではなくわざわざ女性に設定し、母親と同じ役者が演じるということは、このプロダクションにおいて、ファンタジーの世界ネバーランドの悪役フックは、現実世界の母親をどこか引き継ぐ存在と捉えるべきだろう。父親のミスター・ダーリンと海賊スミーは、同じ役者が演じている上、気弱でコミカルな立ち位置が似通っていて、こちらも実際の世界とファンタジーの世界に相通じるものがあると感じさせる。
この芝居は、セリフにも何度も「mother(母親)」が登場するが、その多くに引っかかりを覚える。一番問題視すべきなのは、ネバーランドに住むピーターパンと、親とはぐれたロストボーイズと呼ばれる少年達が、少女であるウェンディに彼ら全員の母親を演じることを要求する点だと思う。ウェンディも要望に応え、ネバーランドにいる間はその役割を喜んで演じるようになるのだ。今の感覚からすれば、決して成熟した保護者にはなり得ない子供に親の役目を押し付けており、彼らの「母親」の理解はかなり歪んだものに見える。
対して、前述したようにこのプロダクションでは、このネバーランドの世界にもう一人の母親がフック船長として存在すると解釈することができる。彼女はピーターパンの天敵であるが、子供向けの芝居にしてはかなりダークなキャラクターである。ピーターを目の敵にしており、登場してすぐに、海賊らしくなく振る舞う部下をその右手のフックで殺してしまう恐ろしいシーンもある。しかし実のところ、ラグーンの場面で母親の概念を説明することができるのもフックであり、この世界で母親の役割を私たちと同じように理解している唯一の存在である。この点からも、フックは現実世界の母親と接続する存在と見なすことができるだろう。その直前にマーメイド達が「お母さんのフリをしてあげる」と妖しく歌い、水に入ってきたジョンを捕まえて溺れさせようとするゾッとするシーンと比較しても対照的である。
芝居前半では、このフックは強気で残虐であるように見えるが、第二部冒頭の自室のシーンでがらっと印象が変わる。下着姿でタバコをふかす彼女の目の周りは黒く落ち窪み、髪の毛がほとんど抜け落ちているため、大病を患っているかのようだ。右手に白い包帯がぐるぐる巻きにされ、ピーターに切り落とされた手の痛みが強調されている。残虐な船長の扮装を脱いだ姿は、どう見ても弱々しい存在として描かれている。彼女は永遠の少年ピーターに執着し、チクタクワニのトラウマに支配されている。果たして、ピーターに傷付けられたフックの姿も、ネバーランドにおける「母親」を象徴する姿として拡大解釈して良いのだろうか。現実世界ではミスター・ダーリンでもあるスミーが、甲斐甲斐しくフックの世話をし、カツラとコルセット、衣装と帽子でフック船長に変身を遂げる過程を見せる。
長年対立しているフックとピーターだが、最後の戦いでフックはピーターに毒を盛り、ウェンディと子供たちを拘束するものの、ついに勇敢な少年ピーターに負ける。負けを悟った彼女は腕のフックを引きちぎり、恐怖の象徴のワニの中に吸い込まれていく。そしてウェンディと子供達は実際の親の元に無事に戻る。
大人になりたくないピーターはウェンディを母親としてネバーランドに再び連れ戻そうとするが、ダーリン夫人がウェンディに「あなたにも親が必要だ」と諭して戻ることを許さない。現実世界に戻ったことで、ようやくウェンディは本来の子供の立場に戻ることができるのだった。ピーターはウェンディを失い、ひとりでネバーランドに帰っていく。このときピーターは、ウェンディをめぐって、さきほどまでフックを演じていた俳優が演じる母親と対峙し、負ける。ピーターと「フック/母親」の二度の戦いの結果は真逆になっている。
と、このように、いろいろな仕掛けに深読みの可能性があって楽しく鑑賞できたプロダクションだった。伝統的な『ピーターパン』のパントマイムではピーターを女性が演じたり、男性で悪役のフックを主役扱いすることもあるが、今後は他のプロダクションでも、フックと母親を二役でキャスティングする演出が出てくるのではないだろうか。
全体の感想も簡単に書いておく。大掛かりなプロダクションだが、人力のフライングの仕組みをそのまま見せ、美術と衣装は手作り風のデザインで、親しみやすい雰囲気に仕上げている。伝統的な家族向け『ピーターパン』よりもダークな側面が強調されているかと思うが、もちろん楽しい部分もたくさんあり、ラストは原作通り、大人になることの切なさで締めくくられる。フックの最期など「これで子供達は『楽しかったね!』と思えるのだろうか」と心配になったが、そのあとすぐ元気な歌が始まりフィナーレに進んでいくので、大抵のミュージカルってそういうもんだったな、と納得した。
とくに音楽が洗練されていて印象的だった。生演奏とコーラスが好ましく、アナ・フランコリーニのミュージカル女優としての実力が存分に発揮されていた。海賊達のテーマにはレゲエ風の音楽が使われていて、深刻過ぎないカリビアンな雰囲気がピーターパン世界の海賊達にぴったりだ。*最後に子供達が海賊船を乗っ取って歌う場面で、子供達のテーマソングにテンポの速いスカ風のアレンジを効かせているのは、海賊の音楽としてリンクさせているのだろう。【*追記】と書いたところ、元からロストボーイズのテーマはレゲエ調だとご指摘いただき、見返してみるとその通りだった。最初のロストボーイズのテーマは優しい裏打ち、海賊船のロストボーイズの方がテンションが高いスカ風、また最初の海賊のテーマはロックステディっぽいかもしれない。結局どれもジャマイカだなーということか…言わなければ良かったかもしれない…(弱気)