私はこの芝居『ヒストリー・ボーイズ』が好きで、映画とラジオドラマは何度も視聴していて、オリジナルプロダクションの映像はナショナル・シアター・アーカイブで一度観たことがある(画質の粗いビデオだけど)。なので、どうしても、オリジナルと比較して新演出がどうかということを中心に、細かい記述が多めになってしまった。
The History Boys (Theatre Royal Bath)
29/8/2024
出演 Simon Rouse: HECTOR, Milo Twomey: HEADMASTER, Gillian Bevan: MRS LINTOTT, Bill Milner: IRWIN, Archie Christoph-Allen: DAKIN, Lewis Cornay: POSNER 他
作 Alan Bennett/演出 Seán Linnen/美術・衣装 Grace Smart /照明 Ryan Day/音楽 Russell Ditchfield/振付 Chi-San Howard/音楽監督 Eamonn O’Dwyer 他
本作はイギリスで最も人気が高い芝居にも選ばれたことがある2004年発表のコメディである。主眼は地方の若者と弱肉強食の教育システム、異なる教育方法の衝突にあるが、同時に先生と生徒の時に問題を孕んだ関係も描かれる。
本公演は20周年を記念するプロダクションで、バース公演の後、11月まで国内ツアーを行う予定。ツアー公演のためか、美術は最小限に抑えられ、主なセットは回転するものが一つのみ。回転する壁の片側が教室の内側、片側が廊下側になっている。その他、デスク、椅子、ソファ、ピアノなどを使用している。
台本の修正
戯曲は冒頭と終盤で映画版の筋書きに寄せている。映画の方が痛々しさが抑えめだと思うのだが、鑑賞人口は多いだろうから、観客をがっかりさせないための選択かもしれない。
第一幕と第二幕冒頭の現在のアーウィンのシーンは丸ごとカット、アーウィンが事故で車椅子になった設定と関連するセリフもカットした。代わりに、冒頭には映画と同じように学生たちがAレベルの結果を確認にくるシーンが挿入されている。ラストシーンで語られる学生たちのその後は、ロックウッドが軍隊で亡くなり、ポズナーは教員になるという映画の設定を採用。
その他気づいたものだと、ヘクターが教室の鍵を閉めてノックについて話すシーン、アーウィンがヘクターがなぜ鍵を閉めるのか聞くシーン、ポズナーにヘクターの授業について聞き出そうとするが断られるやりとり、スクリップスがデイキンにT.S.エリオットを暗唱するやりとり、ヘクターを励ますためにデイキンとスクリップスが映画の再現をするシーン、ラッジの歌をカット。その他にも細かくセリフはカットされていた。
音楽と振付
音楽は独自の編曲がされていて、追加曲もある。第一幕、第二幕ともに、ボーイズの合唱(第二幕はボディーパーカッションも)で幕を開け、楽しそうな学生の雰囲気が見て取れる。おそらくアンサンブルも袖で加わっていてコーラスが上手い。話声もしっかりしたゴージャスなアレンジになっている。
舞台転換、家具の移動は全て男子学生が(時に飛び跳ねながら)行っており、これも楽しげな雰囲気。セリフのない学生役のアンサンブルが数名おり(アンダースタディなども兼任している)、制服姿の彼らも舞台装置を動かしている。成人した大人役の俳優はこれには加わらない。
出演者
ファンからすると重要だと思って待っているセリフが早口で流れていってしまうことも多々あり、セリフのタイミングや癖のなさはある意味初々しい。思い返すと、オリジナルキャストの映画とラジオドラマはかなりドラマチックな台詞回しをする俳優が多かったが、対して本プロダクションはナチュラリスティックにな印象。しかしこれからツアーが始まるわけなので、今後回数を重ねて彼らのコンビネーションにも変化が起きるのだろうか。
アーウィン役のBill Milnerが特にセリフをさらっと発しており演技のテンションがナチュラルで受け身気味。このプロダクションでは、アーウィンが教職を離れ、テレビや政府機関で活躍する姿が描写されないこともあり、彼のアーウィンからは自信に満ちた色気を感じられず、デイキンが執着することになる説得力に欠けるのが少し残念。
終盤デイキンがアーウィンを誘惑するシーンでは、あっさり誘いに乗りそうなアーウィンに少しぎょっとする。そこにいたるまで2人の間のテンションの高まりが積み上がっていないと感じていたから、急展開でギョッとしたのかもしれない。その後車椅子で登場しないこともあって、うっかりなんともなかっただけなのか?と腑に落ちない。
デイキン役のAcchie Christoph-Allenは、本舞台がデビューの新人。声がドミニク・クーパーにそっくりで聞き取りやすい。背が高くハンサムで、小賢しくふてぶてしい高校生を無理なく演じているように見えた。
ポズナー役Lewis Conayの歌が達者で素人離れしており(プロのミュージカル俳優なので素人ではないが)、多くのソロをスキルフルに担当している。ポズナーはクラスでは浮いている存在という設定だと思っていたが、クラスメイトと和気藹々としている場面も多くあり、時に空気のように無視されていた映画と比べて2024年的ではある。学生の中では彼が一番目立っていた。
スクリップスはナレーター的立場だが、演じるYazdan Qafouriはかなりセリフをすんなり話すので、区切りになるはずの部分が流れ気味。しかし彼のスクリップスは多くの曲でピアノを演奏しているのが良かった。ジェイミー・パーカーほど達者とは言えないが、全く弾かないプロダクションもあるなか、多くの曲をちゃんと弾いている。
学生同士の掛け合いは、ラジオドラマの矢継ぎ早な箇所と間をためる箇所の緩急が大きかったのに比べ、笑い待ちも含めて全体的にたっぷり時間を取っていてよりナチュラル、教室が穏やかな雰囲気。先に書いたように、学生全員が歌う曲が増えたので、音楽の分量自体は増えたような印象を持った。ポズナーとスクリップスが歌う設定の讃美歌も、シーンチェンジとともに全員が歌う演出になっている。
ヘクター、リントット、校長役のSimon Rouse, Gillian Bevan, Molo Twomeyは比較的セリフを自分たちのものにして発しており、学生たちよりも重みがある。ヘクターが犯した行為は劇中では描かれず、基本的に生徒たちは笑って話すだけなのだが、その辺りの演技を見ていてもあまり嫌悪感が感じ取れない。本プロダクションではリントットの叱責が最も深刻に見えた。
まとめ
結論としては、学校以外のシーンをカットしポズナーの扱いを改変したこと、学生たちが熱心に音楽に加わることによるポジティブな雰囲気の醸成、セリフの癖のなさなどによって、本リバイバルはやや軽妙で優しいトーンに仕上がっていると感じた。