2026/8. Holy Fool (Park Theatre)
作:Rosalind Adler and Lea Sellers 演出:Kate Fahy 美術:William Fricker 照明:Oliver Fenwick サウンドデザイン:Julian Starr
出演:Jenna Augen, Fergus O’Donnell, Benjamin O’Mahony, Phoebe Pryce
インターバルあり、約2時間半。プレビュー期間中の鑑賞。
Holy Fool(聖なる愚者)とはソ連時代の最も成功した作曲家の一人であるドミトリイ・ショスタコーヴィッチを指す。1936年『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の公演から、1973年の晩年までの期間を、史実とオリジナルストーリーを交えて描く。
本作のショスタコーヴィッチは、スターリン政権下でロシアの人々のための創作を目指し、スターリンのイデオロギーにおもねる作曲活動もするが、内心では党とスターリンの指導する「あるべき音楽」に葛藤も抱えている。制作物も振る舞いも危うい場面が多く、綱渡り状態での活動だったということが描かれる。
劇の作りはあまり上手くないが、「政治イデオロギーのための芸術、あるいはイデオロギーにより抑圧される芸術活動を、現代の視点でいかに評価できるか」という興味深い主題を扱っていて、面白い場面もある。色々なものを削ぎ落とし、洗練された構成にすれば、見応えのある演目になるのではないかというポテンシャルも感じる。
ちなみに、私は最も有名な交響曲第5番くらいしか聴いたことがなかったがそれでも話についていくのは問題なかった。芝居を見た後は取り上げられていた他の楽曲をしっかり聴きたくなった。
(以下、少しネタバレも含む詳しい感想)
前半は、ショスタコーヴィッチが監視の目、盗聴、スターリンおよび新聞の批判、ひいては粛清を恐れながら、音楽活動を行う作曲家であるということが強調される。私は作家や劇作家など多くが制裁対象になったと知っていたが、同時代のショスタコーヴィッチを含む作曲家について考えたことがなく、「怯え震えるショスタコーヴィッチ像」を間近に見るというのがかなり新鮮だった。レニングラードの壮絶な戦場の近くに身を置いた交響曲第7番の作曲シーンは、俳優たちの熱演に加え、音響、映像なども用いてとてもドラマチックに仕上がっている。
最初に述べたように、劇の作りはそんなに感心しない。インターバル後くらいまでは実在した一人目の妻ニーナとの生活を描き、丁寧に時系列を追っていたが、後半はカティヤ・ペトロヴナという架空の女性キャラクターとのシーンにかなり時間を割いている。
彼女は幼少期に、配管工の娘としてショスタコーヴィッチにたまたま出会うが、彼の無責任な発言に影響を受けて人生が変わってしまうという登場人物である。成人後に再会した彼女の説得により、ショスタコーヴィッチは交響曲第4番の発表を決意する。アメリカでの演奏会に招かれた彼女はそのまま亡命するが、さらに晩年にショスタコーヴィッチがその自宅を訪れるというのが最終シーンになっている。割と面白い展開だが、前半部分とうまく融合していない。
また、スターリンの死後には、ショスタコーヴィッチにとっての自由な作曲とは何か?抑圧の中にあることを望んでいたのではないか?ということが問われる。どうやらこの問いがこの芝居の肝だったようだが、やや唐突に感じたので、もう少し早めに提示して良かっただろう。
俳優は四人のみで、Benjamin O’Mahonyはショスタコーヴィッチ、Jenna Augenは主に妻、Phoebe Pryceは主にカティヤ、最後の一人(Fergus O’Donnell)が色々な役回りをする。献身的な妻ニーナを演じたAugenの暖かみのある雰囲気が印象に残った。ちなみにニーナは元々は科学者で、職を辞してショスタコーヴィッチを支えているが、社会主義国の女性であるのに夫のために仕事を辞めるのは矛盾しているのではということをチラッと言ったりする。Augenはその後ナースの役もしていて、その会話シーンもユーモラスで面白いのに、この役は全体のストーリーに影響を与えないのが残念。
家具はピアノが中心に置いてあり、他にも多くの小物で家庭的な雰囲気を演出しているが、シーンごとに細かく小物を入れ替えている。最後のシーンではカーペットも含めてがらっと家具の配置換えをするため、転換に時間がかかってしまった。背景は大きなプロジェクション画面だが、使い所はごく限定的にしている。場面転換中には年代と場所がプロジェクションで投影され、録音音声で複数の世論の声などが流れる。この録音音声がかなり余計な要素で、作家の力量が足りないような印象を与えてしまう。いっそ、使う音はショスタコーヴィッチの音楽だけにしても良かったのではないだろうか。
もし私の好みに作り変えられるなら、生身の俳優のダイアローグだけで構成したものを見てみたい。美術も、マイケル・フレインの『コペンハーゲン』、トム・ストッパードの『アルカディア』のように、さまざまな時間や場面をどこともつかない同じ空間でまかなうものが好きだし、その方が効率的な気もする。
とはいえ、この小さなローカルシアターで見応えのある新作芝居を定期的にかけられ、間近に役者や美術スタッフの熱意を感じられる環境は羨ましい。パークシアターは2013年オープンの新しい劇場だが、今後も長く続けられることを願う。
