ソン・ギウン『外地の三人姉妹』リーディング

2020/2/21 終演後、アフタートークあり。

脚本・演出:ソン・ギウン 翻訳:石川樹里

上演時間3時間(もっと短くする予定とのこと)

「KAC Performing Arts Program 2019 / Theater 演劇作品における新たな主体をめぐって」と題したイベントの一環として、京都芸術センターでリーディング公演が上演された(公式サイト)。KAATで今年12月に上演することになっている(演出:多田淳之介)。

アフタートークで語られたことだが、韓国で書き上げた段階では脚本は未完成で、本公演の稽古期間1ヶ月のうち、前半2週間はワークショップ的な読み合わせで脚本をブラッシュアップしたそうだ。

感想(ネタバレなし)

チェーホフ『三姉妹』を下敷きに、『外地の三姉妹』として、外地=朝鮮で暮らしている日本人の娘三姉妹にしたという翻案がやはり面白い。

戯曲がとても魅力的なのだが、1930年代〜40年代の朝鮮という舞台がとてもうまくハマっているからこそ、プロットやキャタクターの行動から匂い立つ「チェーホフぽさ」がものすごく濃い。憂鬱さ、腰の重さ、外地に来る羽目になった日本人たちの高慢な態度の鼻につくことよ。

ほとんどワーニャ伯父さんだなあ、とか元も子もないような感想も抱きつつ−−途中でふとThree Days In The Country(パトリック・マーバーによるツルゲーネフ『村の一月』翻案)も思い出したが−−展開は分かっているのに飽きることもなく3時間見ていられた。

リーディング公演だと、どの程度のものを期待していいのかわからなかったが、思っていたより舞台の形になっている公演だった。

段差を用いた簡素な舞台と、設備の備品らしきテーブルと椅子、譜面台やパーテーションなどを用いて、建物や敷地の構造、1階2階などの異なる空間が幕ごとにきちんと表現できていた。細かい出入りの動線もしっかり再現し、空間に破綻がない。衣装もそれらしいものを用意していた。背景のスクリーンに情景描写や用語解説が映し出され、かなり教育的な上演でもあった。資料の映写と、音楽も使われていた。

俳優の演技も朗読と舞台演技の中間という感じ。演技がややグラグラするのは、今回はしょうがないだろう。

ト書きは基本的に出番のない役者が読み上げるのだが、「誰々、出て行く」というようなト書きの多くは演じている役者本人に言わせるというややメタ的な演出。そこをミックスする必要はあまり感じなかったものの、リーディング公演だからこそできる遊びでもある。

ここから、KAATでの上演がどのようなものに発展するのかが楽しみである。

アフタートークのメモ

注意:言葉遣いや発言の順番も変えてしまっている、不完全なメモ。

登壇者:ソン・ギウン、筒井潤(dracom、ゲスト)、山口吉右衛門(劇団飛び道具)、司会に京都芸術センターの方。

山口さんは上演企画を京都芸術センターに持ち込んだ方で、千葉(チェプトゥイキン)役で出演もしている。

  • 稽古は1ヶ月、前半の2週間は翻訳(兼出演)の方を交え、出演俳優との読み合わせで日本文化に合うように脚本を直した。皆で背景や資料の勉強をするだけの日もあった。
  • 最初の脚本では〈習慣的なあいさつ〉などと書かれているのを、適切なセリフや時代にあった言葉遣いを考える必要があった。
  • 最後のシーンは数日前に出来上がった。
  • (ソン・ギウン)戯曲の翻案は、カルメギ(かもめ)、颱風奇譚(テンペスト)に引き続き3作目。
  • 元々は大阪大学文学研究科の講義のための依頼で始まり、上演には受講生が携わり一部出演もしている。タイミングよく多田さんからも依頼があり、今回のリーディング公演→KAATでの公演という運びになった。たまたま。
  • 100年ほど前に、ヨーロッパから日本に、チェーホフやシェイクスピアなどの演劇を輸入し翻訳劇をやって、それを韓国に持って帰って日本語から韓国語に翻訳して演劇をやっていたという歴史があり、それを興味深いと思っている。(今チェーホフやシェイクスピアを日韓共同でやるにあたって)
  • チェーホフの書いた時代(現代に移る前)が、日本でいう戦前にあたるのではないか
  • ソウルでは、チェーホフやシェイクスピアの、時代や場所を変えた翻案はやられており、「モスクワへ」を「京城(ソウル)へ」という翻案は見たことがあった。ただ、父親が軍人という設定などうまくいっていないと思う点があり、そこで「東京へ」という翻案を作りたいと考えた。『かもめ』の方がわかりやすいと思っていたため最初にやった。今回は依頼の永田先生がロシア文学が専門ということもあり、『三人姉妹』を選んだが、三人姉妹の方が戯曲が自分にはわかりにくいと思う。
  • チェーホフの戯曲にある非再現性が、自分の脚本のリアルで論理的な感じ、再現性とミックスされたような感覚
  • 日本のことをあまり分かっていないのに、日本人を描くのが一番ハードルが高かった。最初は末娘だけ朝鮮人の養子にしようかとも考えていたが、結局ほとんど日本人、ほとんどのセリフが日本語の芝居になった。
  • (山口)多言語にしたい、訛りも入れたいということだったので、俳優本人が秋田弁など勉強してきてセリフを直した。
  • (筒井)今回朝鮮を舞台に日本人で、という設定で、人の出入りや人物の関係が、元よりもわかりやすいと感じた。このあとチェーホフを見た方が理解が深まるかも
  • (ソン・ギウン)ソウルでの上演予定は今の所ない。上演したらまた批判が出るかも。
  • 日本人はこの歴史に興味がないが、韓国人は熱心に学ぶ。さらに、日本人が興味がないことも承知している。なので、今回親日派の韓国人と日本人のミックスというキャラクターがいるが、そういう人物を出すことに批判が出るかもしれない。日本人が自覚していない歴史を描く(特に日本で日本人演出家が携わる)もので、加害側と被害側の境界に立つような人物を描き、境界を曖昧にするなんて、と問題視されるだろう。
  • 日本でも、昨今の状況見ていると、タイミングによっては騒がれてしまうかも…という話などが出たあたりでお開き

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