アルトゥロ・ウイの興隆

アルトゥロ・ウイの興隆(ロームシアター京都メインホール)

12/18/2021

作:ベルトルト・ブレヒト 翻訳: 酒寄進一
演出:白井晃 
音楽・演奏: オーサカ=モノレール 振付:Ruu

出演:草彅剛 ほか

ベルトルト・ブレヒトの1941年の戯曲「アルトゥロ・ウイの興隆(Der aufhaltsame Aufstieg des Arturo Ui)」は、ヒトラーの躍進をシカゴギャングに置き換えて描いて見せる批判的作品。本プロダクションでは、ギャングのボス、アルトゥロ・ウイは、バンドを従えジェームズ・ブラウンを歌って踊るスターでもある、という演出になっている。演じるのは草彅剛。

途中まではインターバルで帰りたいくらいに感じていたのだが、フィナーレまで見ると大変楽しかったので、ネタバレありの感想を書く。本当にめちゃくちゃネタバレあるよ!

最初に良くないと思ったところをぶちまけてしまおう。大きく分けて三つの不満点がある。 まずは、見立ての芝居としての作り方、「ヒトラー」を「シカゴのギャング」に置き換え、さらにそれを「ファンクミュージックのスター」に置き換えているものを日本の観客が見るという状況である。なかなか飲み込みづらいシカゴギャングの物語の場面が変わるたびに、スクリーンが下り、直前の場面に対応するヒトラーの躍進の歴史が字幕で解説される。観客はずっと、アメリカ風の固有名や展開を追いつつ、ドイツの史実も並行して確認していくことになる。特に冒頭は説明が続き、なかなか物語が盛り上がらない。ドラマがぶつ切りになって没入感がないところが、ブレヒトらしいと言ってしまえばそうなのかもしれないが。舞台上ではウイはあまり直接的な暴力を行使せず、合間の字幕で誰かが殺されたことがわかることもあり、見ているとヒトラーの方が悪いな、という印象になってしまった。 終盤にウイが亡霊に責められる『リチャード三世』風シーンも、あまり説得力が生まれなかった。

二つめは、大半のセリフが聞き取りづらいか、耳障りだったことである。

三つめは、女性ダンサー3人の起用について。彼女らは、名前も個性もなく、ほとんどセリフもなく、セクシーな動きや退廃的なムードをだすために踊り、小道具のように舞台上に配置されていた。シカゴのギャングやミュージックシーンでの若い女性の扱いがどうだったかは知らない。ここで私が問題だと思ったのは、役名のあるキャストはほぼ男性、バックバンドも全員男性という2021年の日本のプロダクションでの、「劇の本筋には関わらない飾りとしての露出の多い若い女性の配置」である。ウイが女好きで終始イチャイチャしている設定にするなり、衣装を誰よりも華やかにして「飾り」として強調するなり、ダンサーをいっそ7人くらい使ってもっと見せ場を作るなり、バンドもダンサーも男女混合で起用するなり、もっとやりようはあったと思う。

さて、好みだったのは、舞台全体の見た目である。メインカラーは明るい赤だが温かみが少ない色味を選んでおり、ときどき差し込まれる緑などの差し色がビビッドに映える。電球サイン、モノクロ写真などもスタイリッシュまとめている。衣装も、最も彩度の高い赤をまとった主役がよく目立つようになっていて、ギャングとバンドメンバーは徐々にくすんだ色合いを増している。

これはなかなか長い上演で、前半90分、後半80分あるのだが、最後の10分くらいにようやく劇として愉悦の瞬間がやってくる。オーストリア併合に成功したヒトラー、ではなく、シセロの野菜取引の掌握に成功したウイを賞賛するフィナーレである。ここでようやく、なぜこの芝居を日本で、しかも草彅剛で上演したのかの醍醐味がわかることになる。多くの観客はウイを演じる草彅氏のために駆けつけており、客席は満席で、ウイのパフォーマンスには毎回手拍子を欠かさない。最後のコンサート風ステージは最も照明がきらびやかで、音楽も最高潮のテンションになり、演説も大音量である。ウイが悪漢であることは今まで十分説明されてきたのだが、ギャングメンバーのコンサート風の煽りに乗って、観客の多くが右手を空にあげるのである。もう見ていて笑うしかない。同時に泣けてくる。草彅剛というスターの前では、大衆は喜んでナチス風敬礼をやってのけてしまうのだ。

観衆に支持されたウイであり草彅剛である存在は、もっともっとアメリカ中を手中に収めていくことを歌い上げる。このアメリカ全土とアメリカ国旗は、チェコやスロバキアやポーランドとナチス・ドイツの国旗に置き換わり、さらに一瞬日本国旗にも置き換わる。ヒトラーへの群衆の熱狂と、アイドルへのファンの熱狂が、分かりやすく対比される。

このまま劇が終わっても良いところだが、最後にバンドリーダーから短い説教が入り、教訓的な色合いを強めて幕となる。原作ではウイ役の俳優がやるところを、このプロダクションではバンドリーダーに代わりに語らせているので、ファンの熱狂をあまり冷めさせない作用があったかもしれない。カーテンコールで舞台に手を振る観客の様子を複雑な気分で眺めた。

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