パラドックス定数 第44項 「トロンプ・ルイユ」 (シアター風姿花伝/野木萌葱作演出)
2019/1/12
昨年に鑑賞した「ブロウクン・コンソート」以来の2度目のパラドックス定数。そのときは、裏社会と暴力ルールに馴染みがなさすぎて入り込みきれないままだったが、今回は大きくテイストが違い、ものすごく好みであった。
(しかし前回の記憶が強すぎて、いつ誰が誰を殺すのかハラハラしている時間はあった。誰も犯罪者ではなかったのでホッとした。)
1人2(人間と馬)役
役者は6人。それぞれが競走馬1頭と人間1人を演じる。演じられるのは、競走馬の農場のスタッフ、オーナー、観客たちと、競走馬たちの数レースを巡る悲喜こもごもだ。大いに笑い、心が揺さぶられ、涙もしてしまうような爽やかな作品だった。
1時間50分の一幕もので、コンパクトにまとまっているが、中身はかなり充実している。キャラクターは人と馬で12名いる上に、サブプロット的場面も多い。それでも各人やストーリーについて描きこみ不足だとは感じられないのは、個々の役者が担当する2名のキャラクターがお互いを補完しあっているからだ。
各キャラクターの背後に、もうひとつのキャラクターがふと顔をのぞかせる。ひとりの役者が2名分のストーリーを請け負い、より複雑で多面的な大きなキャラクター像を形成しているとも言える。
馬を演じる際は、俳優はあまり馬の形態を模写しようとはしていない。四つん這いもしない。リードをつけられ従い歩いている様子から、馬を演じているとわかる。芝居が進めば、リードなしでも、観客には文脈で判断ができるようになってくる。役者たちは立って話をしているだけなのに、それぞれが四つ足の生き物として自然な演技をしているように見えてくる。
さらに芝居が進むと面白いことに、今度は馬と人の役柄の境目が徐々に曖昧になり、シームレスに移行するような演出が増える。また、場面と場面の切り替え、舞台装置の転換作業、役の切り替えのタイミングもあえて揃えない。それぞれが前後しながら変化していくところは舞台ならではの演出で大きな喜びを感じたが、これが喜びに感じるのだということそれ自体がひとつの発見だった。
一人二役の配役と話作りが相互にうまく作用している。そこがこの芝居の一番の醍醐味に感じたので、初演では一人二役ではなかったと聞いて驚いた。ストーリーは同じでも、観劇の感触はかなり異なるものだったのではないかと想像する。【追記】と、書いたところでツッコミがあり、初演も一人二役以上してたという話だったので、私は夢を見ていた可能性が高い。【追記終わり】
役者とセット
舞台はかなりシンプルで、左右の出入り口と、簡易な木製の椅子が複数あるのみ。椅子を重ねたり並べたりすることで、柵や囲い、厩舎、ベンチや店を表現しており、その並べ替えも役者が担当している。この見立ての舞台装置も、馬と人の間を役者が行き来する芝居にはぴったりだ。
役者は全員男性。セリフが多い会話劇だが、基本的なことだが、役柄の演じ分けも台詞回しも安心して見ていられる。実況風のセリフもうまい。最前列で鑑賞したのでかなり距離も近かったが、きちんと距離をとったスマートな演技をしてくれる。
(役者の「こちらが目に入っていない態度」を保ちながら「最前列と最後列どちらに対しても演技を届ける」才能というのは存在するのだろうか。私は、最前列では舞台に近すぎて居心地がわるくなる時がたまにあるのだ。目の前の世界がフィクションの世界だと思い込めないような気になる)
先に書いたように一人でふたつのキャラクターを演じているところを見ているので、役者ひとりひとりにも愛着が湧いた。特に動物役をされると弱い。前回は役者の名前と役名がよくわからなかったが、今回はきちんと情報が案内されていたのもよかった。