ザ・セカンド かもめんたる「水筒の目(仮)」

2023/4/30

先日、漫才賞レースの準決勝の配信を視聴したところ、かもめんたるの漫才(タイトルは無いが、仮に「水筒の目」とする)が面白いうえにめちゃくちゃ風刺性のあるものだった。

かもめんたるは、う大さんと槙尾さんの二人組で、元々コントで有名だと思うが、最近は漫才にも本腰を入れているそうである。う大がネタを書いており、漫才中に会話を主導するのもう大である。

「水筒の目」では、う大が、水筒の目が存在するという説を唱え、槙尾を説得しようとするのだが、この漫才の主眼は水筒の目の存在如何にはない。ここでは、水筒の目は「にわかには信じられない出来事」であれば何でも代替可能であるなかで選ばれた、面白い選択肢でしかない。

この漫才の主眼は、むしろ、観客の気持ちを代弁する槇尾の姿勢と、う大の意識高い系な説得のレトリックの構図の面白さにある。

まず最初から「意識の高いみなさんは知ってると思いますが」とう大が話し出す。槇尾はう大の突拍子もない話に困惑する返事をしたところ、「ヘイトスピーチとかする人ですか?」と切り返されるところで、観ている側はおや、と思う。

ここを皮切りに、そうとは名言しないが、槇尾は「素直で保守的な大衆」の代表となり、う大は「意識高い系のwokeな人間」の代表となって、どこかで見たことがあるような論戦の再現を行う漫才に変化する。めちゃくちゃ社会的なめくばせのある漫才だ。水筒について二人で仲良くおしゃべりしているようだが、反論の仕方も説得の語彙も、幾度も観た覚えがあり、その再現ぶりが見事で笑ってしまう。

水筒の目という設定も面白いが、その上で形式が新鮮で、う大と槙尾の役割分担も似合っており、オチの付け方も悪くない、出色の出来だったと思う。他の出場者の漫才も面白かったが、「今この」漫才をかけるという今日的意義でいえば段違いだ。

かもめんたるは、正月のとあるテレビ出演では「彼女とセックスしたい欲求」を「素人のおじさんのモノマネを見たい欲求」にずらした言い争い漫才をしていたが、その形式を基礎としてブラッシュアップしたような出し物といえる。

この漫才は色々あって6分50秒だったそうだが(この賞レースの規定時間は6分なので、かもめんたるは結局20点減点されてしまった)、この短い会話が演劇ではなく漫才の形で披露できて、笑いも取れているということにも感心した。


ちょっと言い訳

年末のM-1の盛り上がりを見ていると、漫才というのはSNSで解説されるのがブームなのかと思っていたので、「水筒の目」はまず解説が上がるだろうと思って数日静観していたのだが、「洗脳漫才」「面白い」「水筒忘れないようにしたい」みたいなコメントしか見つけられず、会場のお客さんには「よく分からなかった」と言われているしで、ピンとくる批評や解説が見当たらない。よく考えたらこれは有料生配信イベントだったから、見ている人数が全然違ったみたいだ。

薄々、漫才のレビューっていうもの自体が野暮な気はしている。今後も舞台で披露することもあるだろうから、もしかしたら漫才の内容を詳らかにするのは迷惑行為で、ファンもやらないようにしているのかもしれない。

なので、私もあまり詳しいことは書かないようにしたいが、個人ブログで私なりの見解を開陳するくらいなら良いかもな?と思い、ここに書いておくことにした。

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