Grenfell: in the words of survivors (Dorfman Theatre at National Theatre)
8/25/2023
作:Gillian Slovo 共同演出:Phyllida Lloyd, Anthony Simpson-Pike 美術、衣装:Georgia Lowe 照明:Azusa Ono 音響:Donato Wharton 作曲:Benjamin Kwasi Burrell ビデオ:Akhila Krishnan
出演:Joe Alessi, Gaz Choudhry, Jackie Clune, Houda Echouafni, Keaton Guimarães-Tolley, Ash Hunter, Pearl Mackie, Rachid Sabitri, Michael Shaeffer, Sarah Slimani, Nahel Tzegai, Lisa Zahra
ノースケンジントン・チェルシー地区の低所得者向け高層マンション「グレンフェル・タワー」で2017年6月14日に起こった、72人の住人が亡くなった火災事件を題材にしている。グレンフェルの元住民へのインタビューと、様々なフッテージや審問で実際に発言された言葉をそのまま劇中に使用している、バーベイティム(Verbatim)演劇である。私は火災があった当時はイギリス国内におらず、ネットでニュースを見た程度だったが、バーベイティム演劇に興味があり鑑賞することにした。
四方を客席に囲まれたスペースが舞台で、セットは無し。小道具も俳優たちが持ち込んだ段ボール箱と少しの小物のみ。時折、照明が床にスペースの区切りや階段の場所を投影する。二階席の柵には四辺それぞれにスクリーンが3台取り付けてあり、書類や設備の説明を映したり、審問に出てくる関係者の名前を俳優の顔の横に表示したりするのに使われている。
いきなり劇が始まるのではなく、バーベイティムの説明からはじまる、辛い思いをした人が実際に鑑賞しにくることを念頭においた配慮した作りになっている。劇の始まる前に、俳優たちが自己紹介をし、演じる人物のことを紹介する。バーベイティム演劇である説明があったが、時折、俳優たち自身としての発言も交えるとのことだった。つぎに、観客も、隣の知らない人たちや俳優たちと挨拶をして知り合いになる時間があった。また、実際の火事や煙の映像は使わないこと、いつでも退席できること、話をする相手もいることの説明があった。
ーーーーーここから劇の流れ全部ネタバレしています!ーーーーー
劇の前半では、グレンフェルタワーでどのような生活をしていたかということが語られる。長年ここに住んでいる住人も多く、様々なバックグラウンドの人たちが集まり、活発に交流がある共同体であったようだ。火災が起こる以前から、マンションの設備環境改善のための自主的な活動グループがあったことや、火災が広がる原因になった工事のことも説明されていき、火災当日の火災が始まるその時刻までの行動がそれぞれの視点から語られる。劇後半のほとんどは、火事が起こってからのそれぞれの体験の語りに割かれている。通報の電話のやりとり、瞬く間に広がった火災の様子、気がつけば廊下は煙につつまれ、どうして良いかわからず何時間も室内で鎮火を待っていた人たち、助からなかった家族のこと。最後は亡くなった72人の名前と火災以降のコミュニティの映像が流れ、観客たちは黄緑色のハート型プラカードを持ったサイレントマーチに加わる形で劇場外に誘導される。ドーフマンシアターの出口はハート型のプラカードを捧げる場所となっていて、黄緑色の照明で明るく照らされている。
特に後半は非常に悲痛で、気持ちが重くなる内容ながら、3時間ひとときも飽きず、客席全体が集中しているのを感じた。私は何時ごろに火災が起こったのか、どういう事情で火の回りが速くなったのか、イギリスの住宅建造物の決まりや「Stay Put(室内待機)」の標語も知らなかったので、大きい驚きと共に鑑賞した。企業や自治体などシステム側から住人たちへの差別的態度、不当な扱いが続いたことに対する怒りが、全体を通して充満しており、防げた悲劇であったのだということを痛感する。
俳優の中では、Joe Alessiが演じるイタリア人のアントニオが語るロンドンの素晴らしさと、大火災のなか職場に休みの連絡を入れるおかしみが印象的だった。
ほとんどの時間は素晴らしいアンサンブルによる芝居に割かれたわけだが、最後に抵抗の運動へと劇の形が転換するところでも、大きな違和感を持たせず、観客を冷めさせることなく現実のタワー住人の世界に誘導できているところにも感心した。最初に俳優たちが自分の名前を使い、観客たちと挨拶しておいた導入部分や、観客もデモに慣れているような土地柄だということもうまく働いた要因だと思う。劇が終わった後もしばらく、多くの観客たちが語り合っていた。
バーベイティムとは思えない滑らかな出来で、つながりが悪いだとか不自然だと思うところは全く無かった。むしろ、すぐにでもテレビでドキュメンタリーとして放送できそうな、洗練されたドラマになっていた。