The Doctor

2022/5/22

オランダInternationaal Theater Amsterdamの配信で、The Doctor (De dokter)を視聴。

ロバート・アイクがアルトゥル・シュニッツラーの戯曲「Professor Bernhardi(ベルンハルディ教授)」(1912)を翻案し、アルメイダシアターで2019年に初演したものの、オランダ公演。オランダ語上演を英語字幕付きで視聴した。

2021年に日本パルコ劇場での翻訳公演(演出は栗山民也)を観劇し、そのときに『悲劇喜劇』2021年11月号に掲載された戯曲も確認している。(しまった、日本版の感想を書いていなかった)

元の1912年の戯曲では教会、医療、反ユダヤ主義などが主題になっていたようだ。この見事に現代的になった翻案では、さらに、ユダヤ人優先/反ユダヤ主義、白人/黒人、男性/女性、中絶推進派/反中絶、カトリック/無宗教、セクシャリティ/クローゼット/アウティング、そしてSNSやメディアでの拡散など、様々な要因が関わってくるインターセクショナルな状況を描いている。

物語展開はヘビーでかなり暗い。それでこそいつものITAだ、という印象をもった(メディアが暗くて辛かった記憶)。日本版は、演出でやや希望が持てる方向に変えてしまっていたことがわかった。最初と最後のモノローグの威力がとても大きいので、私はITA版の方が好み。

また、この翻案で鍵となっているのはキャスティングで、全ての役者が自認するアイデンティティーとは異なる属性(ジェンダー、人種、セクシャリティ)を演じることが戯曲に指定されている。芝居冒頭で、それぞれの俳優が持ってきた衣装を、別の俳優が身につける演出が、それを示唆している。

一番の焦点となるのは、黒人神父を白人俳優が演じていることである。序盤から男性医師を女優が演じているので、ある程度異なる属性が当てられているキャスティングだということは観客も察しているのだが、その神父が黒人であることは中盤まで観客には一切明かされず、それが明かされるときは、ちょっとした驚きの種明かしのような瞬間になる。私もだが、だいたいの観客はそれまで、彼が白人でろうと思い込んで疑いもしなかったと思う。そして、途端に不安になる。「もしかして、主人公は(そして同調して見ている私も)人種差別的な態度を取っていただろうか」

このキャスティングの仕掛けはとても面白いと思う反面、観客に大きく負担をかける。実際の世界とは違う見た目で舞台上で再現されているということを、常に意識しながら見るはめになる。

今回の鑑賞中に私がやっていたことは、「ああ、彼女は男性なのだった、もっと大柄かもしれないし、人種もわからないな、この二人が対面している時の印象は実際はもっと威圧的に見えたりするだろうか」という、実際の俳優にはない属性を想像しながら見るということだった。

それが繰り返される中で、失われているものが大きいような気がしてくる。

彼女が演じているのは男性だ、と思う時、その俳優の顔立ち、ボディライン、肌の色を全て信じてはいけない、その見た目を剥いで役柄を見なくてはいけない、と思う。その時、その俳優の演技の幾分かも私は見ないふりをしているような気がしてくる。私は、今、目の前の演技を無視していないか???

日本語で鑑賞した時はそこまで喪失感がなかった。このような印象を持ったのは、オランダ語の聞き取りができないということが大きいと思う。俳優が発する言葉を直接理解できないため、彼らの言葉は平坦な白い字幕に置き換えられており、さらに画面に映る彼らの姿も戯曲に描かれる何かに置き換えないといけないような気がしたときに、芝居を把握するにはあまりに込み入りすぎていると感じた。

このキャスティングの仕掛けはとても「面白い」が、観客が芝居を「面白い」と思うための仕掛けではない。むしろ、客席の観客に問いかけ、問い詰め、告発する仕掛けなのだ。この戯曲はその仕掛けのせいで、主人公の彼女の物語に没入し、ともに悲しみに耽溺することも最後の一瞬しか許してくれない。

最後に、ITAのキャスティングが、私が見た限り、今回始めて人種的に多様になったことも書いておきたい。この劇団は数回しか舞台を見ていないものの、以前から白人中心すぎると感じていたが、それを逆手に取ったようなオセローを上演したりもしていた。今後のレパートリーが再び白人ばかりに戻るのか、今後はより多様になっていくのか、も気になっている。

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